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 当サイトは、書評ライターの中島駆(中島正敏)と、その盟友・梶尾保、井塚章文によるサイトです。ブログやレビュー記事へのコメントはどなたでもご記入可能です(コメントは承認後に反映されます)。お気軽に書き込みしてください(^^

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お知らせ

[2008/11/11]
「なごや博学本舗」主催イベントのお知らせ
★幻の映画『農奴』上映会+呉智英トーク プロパガンダと芸術★
●日時 2008年12月29日(月) 午後6:00〜
    開場:午後5時 午後9時終了予定
●会場 TOKUZO(得三)
地下鉄東山線・桜通線「今池」駅下車 徒歩5分
名古屋市千種区今池1-6-8 今池ブルースタービル2F TEL:052-733-3709
●参加費 前売・予約(当日精算)1,500円/当日2,000円
詳細は「なごや博学本舗」のサイトにてご確認ください。もちろん、中島も参加しますw


[2008/05/15]
講談社の文庫情報誌「IN・POCKET」2008年5月号に、中島駆名義にて薬丸岳氏のレビューを書きました。〈真摯な決意と覚悟を胸に「善悪」の境界に佇む作家 薬丸岳の魅力〉いうタイトルです。よろしければご笑覧くださいませ。「IN・POCKET」のウェブサイトにて、拙文の一部が公開されています。


『夢がかなう9カ月英語独学法――「できない自分」にサヨナラしよう!』

[2007/10/31]
中島が理事を務めるNPO「五時から作家・書評家を支援する会」から、新刊のお知らせです。
「この本があなたの最後の英語読本になる!」――詳細はこちらをご覧ください。




[2007/05/15]
講談社の文庫情報誌「IN・POCKET」2007年5月号に、中島駆名義にて伊坂幸太郎のレビューを書きました。〈「だまし絵」の住人と、「物見の塔」への案内人・伊坂幸太郎〉いうタイトルです。よろしければご笑覧くださいませ。「IN・POCKET」のウェブサイトにて、拙文の一部が公開されています。



[2007/03/15]→祝!映画化!!
土曜9時にNHKにて放送されたドラマ『ハゲタカ』。その原作である真山仁著『ハゲタカII』(講談社文庫/2007年3月15日発売)の巻末解説を執筆しています。よろしければご笑覧くださいませ。(中島 駆)



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ブログ最新記事
2009年09月16日
石黒謙吾さんより『すべらない偉人伝』をいただきましたっ!BOOK

以前ご紹介した『エア新書』の石黒謙吾さんが
またまた面白い本を作ってしまいました。

その名も『すべらない偉人伝』。

090916

ミケランジェロ、アルキメデス、ゴッホ、アインシュタインなどなど
総勢30名の偉人伝です。
ですけど、そこは石黒さん。
小学生の頃に読まされたような
つまらない偉人伝を作るわけがありません。

例えば「アルキメデス」の書き出しにはこうあります。

〈マンガのキャラクターにもなった古代ギリシャの哲学者〉

えっ。マンガのキャラになったっけ??

と思いつつ最後まで読むと、なるほどーーーーー。

あまりに馬鹿馬鹿しいですけど、面白い。
たしかに「すべらんなぁーーーーー」と膝を叩きたくなる一冊です。

にしても、よくこんな面白いアイデアを思いつくものですね〜。
さすが石黒さんっ!


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Posted by kakerunakasima at 22:52:33 on 2009/09/16
[閲覧(204)][コメント(0)]

2009年08月26日
「システミック」と「Thinking Power Notebook」を使ったノート活用を考えてみた。ETC.


「ダイヤモンドオンライン」の「これが気になる!」というコーナーにて
「大事なことは「手書き」で記録! ――安くて手軽なノート活用術」
という記事を書かせていただきました。
http://diamond.jp/series/brandnew/10209/

記事では字数の関係などもあって、
詳細に触れることができませんでしたので、
こちらで写真入りで詳しく書いてみたいと思います。
なにかの参考になりましたら幸いです。

以前から、アイデアなんかを書き留めるのにノートを使ったりしてたのですが、どうも長続きしません。A6判の100円ノートを活用する『情報は1冊のノートにまとめなさい』なども参考にしたりしたのですけど、今度は一冊に詰め込みすぎてしまって、この方法も頓挫(笑) ごちゃごちゃになってしまって、あとから読み返せない。そもそもどこになにを書いたのかも忘れてしまいます(嗚呼、哀しき鳥頭)。

で、ちょっと落ち着いて「自分にとって使いやすいノートとはどんなノートか?」を考え直すことにしました。あくまで「僕自身にとって」ということですので、これから書く内容は万人向けではないと思います。ノートって、各人が使いやすいようにアレンジしていけばよいのですよね。

■ノートの目的を考える

これは大きくふたつあると思います。「ノートをとる」「ノートを作る」という場合です。前者は、議事録や講義録などをまとめるケースです。後者は、アイデアやメモ、ToDoや特記事項など、その場その場でさっと記していくケースです。

1)「ノートをとる」

この場合は、「あとから読み返す」というのが大前提だと思います。ですから読みやすさ重視。見出しを揃えたり、図表を綺麗に貼ったりできるほうが望ましいでしょう。東大合格者のノートから生み出された「ドット入り罫線シリーズ(http://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/dotkei/)」はその代表例ですね。僕は使ったことがありませんけれど、他にも、ページを三つのエリアに分割して使う「コーネルメソッドノート(http://www.gakkensf.co.jp/lineup/cornell/)」なども使い勝手がよさそうです。いずれにせよ、「テーマ(目的)ごとに一冊ずつ設ける」というのが「ノートをとる」場合のセオリーでしょうか。

2)「ノートを作る」

この場合は、アイデアやメモ、ToDoや特記事項といった一貫性のない雑記を、いかに整理するかがポイントになってくると思われます。冒頭にも書いたように、すべての情報を下手に一冊にまとめてしまうと、どこに何を書いたのかすぐ忘れてしまいます。できれば「検索性」を高めたいわけですが、あまり複雑な方法になりすぎてもまた頓挫してしまう可能性が高いです。僕の場合は、「ノートをとる」よりも、圧倒的にこの「ノートを作る」ほうが多いです。ですので、本エントリのメインは、この「ノートを作る」という作業をいかにかんたんに、効率的に行なっていくかを考察することになります(かなり大げさw)。

■「ノートを作る」ためのノート作りのためのコンセプト

1)シンプルであること。

あまりに多機能を求めると「ノートを作る」ことが目的化してしまいます。それでは本末転倒なので、ざっと書いて、ざっと整理できるようなかたちを目標にしたいと思います。

2)大胆に使うこと。

せっかく安価なノートを使うわけですから、惜しまず大胆に使う。情報を整理するのにも、そのほうが効率的のように思います。

■「ノートを作る」ためのツール

今回、「ノートを作る」ためにセレクトしたのは以下のツールです。

1)コクヨのカバーノート「システミック」(http://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/systemic/)。

一度に二冊のノートを挟み込んでおける点が売りで、サイズはA5、A6、セミB5の三種類が用意されています。どのサイズにするか悩んだのですけど、個人的には、セミB5は持ち運ぶには大きすぎ、A6は書き込むには小さすぎに思えました。そこでA5サイズをセレクト。後述していきますが、これは結果的にとてもよい選択でした。

【購入方法】

ネットでしたらアマゾンでも販売しています。あと、東急ハンズにも置いてありました。

(写真)

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表面は撥水加工が施してあるそうです。帆布のような手触りです。カバーだけでしっかり立ちます。手前に見えるのは、カバーを閉じておく際に使うゴムひも。でもあまり頻繁に使うとすぐに伸びてしまいそうで、その点が心配です。

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両面にポケットがついていますので、ペンなどもさすことができます。

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ノートを挟み込むための内ポケット。厚手で透明なものです。写真ではよく分からないかもしれませんけど、右下あたりに名刺収容スリットが切ってあります。しおりが二本ついています。


2)「Thinking Power Notebook」(http://thinkingpower.jp/)の「フューチャー」

「ツバメノート」をカスタマイズして作られたというノートシリーズです(詳細は上記URL)。横長、あるいは縦長という変形サイズのノート。今回利用したのは、A6縦開きの「フューチャー」というノートです。これを二冊使います。

品名:フューチャー(Future)
仕様:A6縦長 60頁
ツバメ中性紙フールス使用、5mm方眼、
ミシン目付き、背見出しシール付き
寸法:W103 x D148 x H4(mm)
品番:TPN-NA6
希望小売価格(税込):1,000円(5冊セット)

i) 糸綴じで頑丈であること。
ii)ミシン目付きで、ページを簡単に切り離すことができること。

が、「フューチャー」を選んだポイントです。

【購入方法】

公式サイトからリンクが張ってあるお店を利用します。
http://thinkingpower.jp/link.html

店頭販売は少ないようです。僕は「ShopU通販」というお店で購入しました。今回は代引き購入しましたけれど、決済で「来社渡し」を選択することもできるようです。会社は名古屋栄にあるそうなので、名古屋近辺在住の方でしたら、この方法がお薦めかも(詳細は「ShopU通販」サイトでご確認下さい。 http://www.vshopu.com/souryo.html)。

(写真)

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外観

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ページを開いたところ

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分かりにくいかもしれませんが、ページにミシン目が入っています。

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カバーノートとの大きさ比較


3)ナカバヤシの「A5フリーポケット」
http://www.nakabayashi.co.jp/product/new/item.html?mode=view&product_id=96

●A5/本体サイズ:タテ210×ヨコ148×厚み2mm
●材質:表紙/ポリプロピレン(厚み0.2mm)
ポケット/ポリプロピレン(厚み0.08mm)
●収納可能サイズ:タテ195×ヨコ135mm
●ポケット:横入れ10ポケット

【購入方法】

僕は東急ハンズで購入しました。

(写真)

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■「システミック」「フューチャー」「フリーポケット」を組み合わせる

「システミック」の左側に「フューチャー」を二冊。右にナカバヤシの「A5フリーポケット」を挿入します。片側にノートを二冊入れてしまうと安定感がなくなるかと思いましたが、そんなことはありませんでした。内ポケットが深いのと、「フューチャー」自体がかなり頑丈に作られているからだと思います。コンビニなどで60円ぐらいで売っているメモパッドだと、おそらくすぐにページがよれてしまうと思います。

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■使用イメージ

上記三つのツールを組み合わせて「ノートを作る」ためのノートを考えてみます。

【提案A】「フリーポケット」活用法

前述したように、「フューチャー」はページごとにミシン目が入っています。切り離したページを、右のフリーポケットにどんどん保管していくというのが「フリーポケット」活用法です。

フリーポケットは10枚ありますので、それぞれのポケットに「名前」を決めておくとよいでしょう(これは、自分だけがわかればよい)。例えば各ポケットに月曜から金曜までの「曜日」を設定して、その日に切り取ったページを雑多に詰め込んでいく。あるいは「アイデア」「取引先A」「取引先B」というような分類でもいいと思います。それらを一週間ごとに見直し、重要なものは別にファイルする(A6サイズなのでかさばらない)。一方で、必要のないものはどんどん破棄していくというやり方です。

これは山根一眞さんの「袋ファイルシステム」をヒントにした方法です。「袋ファイルシステム」とは、インデックス(分類項)を書き込んだ角2封筒に、関連する資料をどんどん放り込んでいくというものです。安価で簡便なファイリング方法として、今でも人気があります。詳細は、山根さんの『スーパー書斎の仕事術』にて開陳されています。

これを一冊のノートでやってしまおうというのが、「フリーポケット」活用法です。ポケットは10枚しかありませんけれど、週間単位で中身を見直せば、十分こと足りると思います。書いたそばからどんどんポケットに保存していけば、情報の混在を防ぐことができると思います。

その際には「フューチャー」とあわせて、同じく「Thinking Power Notebook」シリーズの「Night & Day Dimple」も使うとよいと思います。こちらは「世界最小の大学ノート仕様のメモ用紙」です。付箋紙のような感覚で、短いメモやアイデア、アポの時間などをさっと書いておく場合に重宝です。これもミシン目がついてますので、切り取ってポケットに入れておくとよいです。僕は、名刺スリットに入れています。

(写真)

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「Night & Day Dimple」外観

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大きさの比較

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「システミック」の名刺スリットに入れたところ

【提案B】アイデアマップ活用法

「フューチャー」を使っていて、相性がよいなと感じたのが「マインドマップ」です。横長にページが開きますので、アイデアなどをどんどん広げていくことができます。そこで改めて読んでみたのが『アイデアマップ』(ジェイミー・ナスト/阪急コミュニケーションズ)という本です。

ideamap

掲載されているマップがすべて英語なので少しわかりにくいのですけど、ようは中心にテーマをすえて、そこから思い浮かべるキーワードをどんどん書き加えていけばいいという感じです。やってみたら案外と面白くて、そのまま「日記」になることにも気がつきました。


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真ん中に「日付」を書いておいて、あとは自由に枝を伸ばしていくだけです。僕の場合、スケジュールや読了した本、アイデアなどもすべてひとつのマップに書き込んでいます。ごちゃごちゃになってしまうかと思いましたけど、案外と見やすいので驚きました。もちろん、「フリーポケット」活用法との合わせ技でもOKだと思います。今のところ、上段の「フューチャー」は「アイデアマップ」帳として使っています。

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(写真キャプション)本エントリを書く際に作ったアイデアマップ。中心に「ノート」のイラストを書いて、そこから枝を張っていく。



次に下段の「フューチャー」の使い方です。こちらは仕事で必要ということもあって、「探書ノート」として使ってみることにしました。

「探書ノート」は、呉智英さんの『読書家の新技術』(朝日文庫)の中に出てきます。今回はこれを参考にしながらノートを作ってみました。

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といってもやり方は実に簡単です。新聞や雑誌、ネットの書評欄から読みたい本をリストアップ。購入した本は線で消し、読了した本は書誌データや感想を書いて切り取って、別に整理・保管する。これを繰り返すと、いつの間にか自分だけの「読書カード」が出来上がるという仕組みです。

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(写真キャプション)「探書リスト」。簡単な書誌データのほか、「A」(名著)〜「E」(怪著)までの予想ランクもつけておく。

読書カードを作る際、場合によっては、上段の「フューチャー」でアイデアマップを作ってから文字に起こしたりします。ブログに書評をアップするときなども、アイデアマップを見ながらだと、けっこうスムーズに文章を起こすことができます。

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(写真キャプション)『クラウドソーシング』という本を読んだ際に作ったアイデアマップ。

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(写真キャプション)上段で書いたアイデアマップを基に、下段の「探書ノート」で「読書カード」を作る。



もちろん、今回ご紹介した方法はまだまだ改善の余地はあると思います。
こんな使い方のほうが良いのでは?
というご意見などありましたらぜひお聞かせいただけますと幸いです。


Posted by kakerunakasima at 10:19:23 on 2009/08/26
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2009年08月15日
【宣伝】鏑木蓮『東京ダモイ』の解説を書きました。BOOK

本日はちょっと宣伝です。

ミステリ作家、鏑木蓮さんのデビュー作
『東京ダモイ』の文庫解説を書かせていただきました。
第52回江戸川乱歩賞受賞作です。
講談社文庫から8月12日に発売されています。

シベリア抑留をテーマにした社会派ミステリなのですが、
シベリアといえば長谷川四郎の『シベリヤ物語』(春樹度高しw)。
というわけで、長谷川作品を補助線にして論を立ててみました。

よろしければご笑覧くださいませ。

■過去の特集ページ(講談社)
http://shop.kodansha.jp/bc/books/topics/ranpo2006/index.html


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Posted by kakerunakasima at 11:40:23 on 2009/08/15
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2009年06月11日
『1Q84』と関係があるかもしれない昔書いた文章BOOK
以下の文章は、僕が1997年に書いたもの。『1Q84』を読み解くうえで、なにか参考になるかもしれない気がしたので、改めてアップしてみた。

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人気作家、村上春樹が小説という手法を捨ててまで追い求めなければならなかったのはいったい何なのか?

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「文芸春秋」1997年8月号に掲載された『二千人の「アンダーグラウンド」』を読んだ。

これは『アンダーグラウンド』を読んだ読者からの二千通を超えるフィード・バック(手紙や電子メールなど)から村上春樹氏本人がその一部をピックアップして掲載したものである。基本的にはその内容の一部を抜粋し、読者の年代別に分類したものであるが、中には村上氏のコメントが添えられているものもある。

書物の感想というものは、一部の評論家による断定的な意見しかなかなか私たちの目に触れることがないだけに、あれだけの読者の生の声が聞けたのはとても意義深かったように思う。なかには批判的な意見もいくつか載せられていたが、それもまた読者の正直な感想であると思った。

ところで、 『アンダーグラウンド』について書かれた批評にいろいろ目を通していくうちになんとなくこの書に対する自分の考えが見えてきたような気がしてきたのですこし書いてみることにする。

すべての批評に目を通したわけではないが、『アンダーグラウンド』に関しての批評はおおむね次の二点であるように思う。

1.河合隼雄氏との対談などで語られた社会に対する「コミットメント」の収束したものが『アンダーグラウンド』であると捉え、

「かつてまともに思考したことも、描いたこともないものに直面しつつ作家とし ての自分を新たなものにせんとする」(渡部直巳『チャリティー風土の陥穽』(群像6月号)より引用)

そのような村上氏の姿勢に対する批判。
2.オウム報道があれだけ頻繁におこなわれた中において、被害者の方々について言及し たものは非常に少なかった。そういった意味において村上氏の今回の仕事は非常に意 義深い。

『二千人の「アンダーグラウンド」』においても読者の方々からの意見とし て圧倒的に多かったのは、

(1)「実際にこんなことが起こっていたとはまったく知らなかった。被害者の おかれた実状を知って驚いた」

(2)「地下鉄サリン事件のことをほとんど忘れて、興味を失っていたが、 あらためて自分のこととして考え直そうと思った」

((1)、(2)とも『二千人の「アンダーグラウンド」』の村上氏の記述から引用)

という意見であったと記述されている。このことからも『アンダーグラウンド』は概ね一般読者からは2.のように好意的に受け入れられているといえる。

ところで私自身はこれらの批評にあまり納得はしていない。その理由は後に説明するとしてまずは私が『アンダーグラウンド』刊行当初においてこの書をどう捉えていたかを述べたい。


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1.『アンダーグラウンド』を読むまで

私自身は『アンダーグラウンド』刊行当初、

1)何故、村上氏がサリン事件を書かなくてはならなかったのか。

2)何故、『ねじまき鳥クロニクル』の後にくるものが小説作品ではなく ノンフィクションであるのか。

というところに少なからず釈然としないものを感じた。 1)に関しては『二千人の「アンダーグラウンド」』にも同様の意見が掲載されていた。 私自身が感じていたこととほとんど同じ意見であったので引用してみる。


「この本を刊行し、新たなるあなたの展開とする手法は素晴らしいことかも 知れない。しかしながらあんなにも芦屋神戸の出身といってはばからない あなたが、震災の被害者に対する取材インタビューをおこなわずに、サリ ン事件の被害者を選んだということは、その数(サンプルとでもいうか) のあまりの多さと、取材場所が離れていることによる時間のなさに甘えて いるとしかいいようがない。震災後の神戸に住んで手記を書くとかしてみ たらどうか?あなたの怠慢を嘆く一ファンとしてそう思う」


まさに私自身が『アンダーグラウンド』刊行の話しを聞いたときに考えたことはこのことである。私もこの方と同様、村上氏とサリン事件との接点をうまく見つけ出すことができなかったのである。ちょうどその前に刊行されていた河合隼雄氏との対談集『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』を読んだばかりだった私は、すぐにその中での村上氏の「コミットメント発言」を思い出した。 そして『アンダーグラウンド』がそのコミットメントの最初の取り組みであるならば、それはなんと安易な発想であるのだろうと正直言って反発を抱いた。

サリン事件を筆頭に、オウム真理教の事件が社会に与えた衝撃は並大抵のものではなかった。地下鉄サリン事件から2年が経過していたといっても信者たちの裁判が行われれば現在でも必ずテレビなどで報道されている。地下鉄サリン事件はいってみれば誰もが関心を抱きやすく、それが本になった場合の反響がある程度読みやすいものであったと思う。しかもそれに加えて「村上春樹」というネーム・バリューの影響がどれほどのものか村上氏自身が理解していないとは考えにくい 。そのような本を出すことが村上氏の社会に対するコミットメントであるというならば、それは金もうけのための単なる「正義の押し売り」でしかない。私自身はそのような印象を持った。

次に納得がいかなかったことは、2)としてあげた「何故『ねじまき鳥クロニクル』に続く作品が小説作品ではなくノンフィクションでなければならなかったのか」ということである。

村上氏はこれからの自分の社会へのかかわり方について、デタッチメントからコミットメントへと変化してきたとわざわざ本(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(岩波書店))まで出して宣言した。私はこの対談集を読んで、そのとっかかりは当然「小説」というかたちで著されるものだと思った。 なぜならば、少なくとも『ねじまき鳥クロニクル』は、コミットするということから得られたことを作品に昇華させたというよりは、そこにいたるまでのウォーミング・アップというか、コミットすることへと変わっていくにあたって片づけなければならなかったことの検証であったと私は捉えているからである。

村上氏は、これまで意識的に「関わりのなさ」を作品の重要なモチーフとしてきて、これからはコミットすることに意識的でありたいと発言した。『ねじまき鳥クロニクル』までの作品が「関わらない」ということを前提に書かれたものであるのならば、これからの作品は「関わる」ということを「小説」で著すものだろうと一読者である私は考えていたわけである。

そこへ宣言後の始めの仕事として『アンダーグラウンド』が上梓された。村上氏は社会に対するコミットメントのかたちとして「小説」でなく「ルポ」を選んだように私には思えた。 社会にコミットするという意味において小説家が取り掛かる仕事としては「ルポ」という形式はあまりに安易すぎるのではないだろうか?(もちろんルポという手法を小説の下と考えているわけではない)正直そう思わないではいられなかった。

もちろんこれは私の勝手な思い込みにすぎない。しかし村上氏がもっとも評価されてきたことは優れたストーリー・テラーとしての氏の実力ではなかったか。サリン事件に対して村上氏がコミットすることはよいとして、そのコミットした結果は小説作品に反映されるべきではないか。それが小説家にとっての「社会へのコミットメント」ということではないのだろうか。 デタッチメントからコミットメントへの変化というのは、村上氏にとってかなり重要な転換であると思う。その重要な転換点において何故「小説」ではなく「ルポ」を著すのか、私はその点にとても戸惑いを感じた。

しかしこれらの釈然としない思いは、村上氏がこれまで発表してきた作品をもう一度見直してみることでたちまちのうちに氷解してしまうことがわかったのである。


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2.『アンダーグラウンド』は本当に「新境地」なのか?

『アンダーグラウンド』はオウム事件という社会的関心のきわめて高い事件を扱ったため、「ベストセラー作家がオウム事件をどのように捉えたか」というところだけに議論が集中してしまっている。しかも村上氏自身が上梓直前に「コミットメント発言」をしたことにより、ますますこの作品はこれまでの村上氏の作品群とは異なる位置に存在するもののような印象を与えてしまった。

正直私も『アンダーグラウンド』を他の村上作品と切り離して考えてしまっていたひとりである。多くの評論家たちも『アンダーグラウンド』とこれまでの村上作品との関係に言及している人はほとんどいないといっていい。 しかし、そこに『アンダーグラウンド』を「ベストセラー作家の気まぐれによる新境地の開拓行為」と読み違えてしまった大きな原因があるような気がする。

『アンダーグラウンド』の後書きにあたる「目印のない悪夢」で村上氏は麻原が作り出したオウム真理教の構造は私たちのいる「こちら側」の世界と合わせ鏡的な関係にあり、その「あちら側」の構図は「こちら側」にいる私たちの社会にも通底するものではないかと指摘している。つまり一見まったく異なるように見える二つの世界が実は同一の地平に存在しているという関係にあるというのである。

このオウム真理教のいる「あちら側」と私たちのいる「こちら側」のような二つの異なる世界の対比というのは、村上氏がデビュー当時からその作品世界に登場させていたものである。『風の歌を聴け』における「僕」と「鼠」や『ノルウェイの森』における「直子」と「緑」などがそうであろう。

そしてその二重世界がもっともストレートに表現された作品は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)である。 この作品は「世界の終わり」というパートと「ハードボイルド・ワンダーランド」というパートの二つの世界からなる物語であり、まさにいっけん異なる二つの世界が実は合わせ鏡的に同時存在していたという結末を迎える物語である。

この物語に関連した興味深い村上氏のコメントが『二千人の「アンダーグラウンド」』に載っていたので引用してみる。 これは一時カルト教団に身を置いていたという方からの電子メールに対しての村上氏のコメントである。この方は教団の中にいたときによく『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を愛読し、今思うとその行為は教団の圧倒的なアイデンティティの剥奪に対するささやかな抵抗だったのかもしれないと語っている。


「僕は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』という小説を 書いたとき、やはり「自分の影をうしなって、自分の存在をなにかに委 ねてしまうこと」について、ずいぶん深く考えていた。偶然とはいえ、 そういう意味で、この人の気持ちとどこかで深く通じるところがあった のかもしれない。(略)」


「自分の影を失って、自分の存在をなにかに委ねてしまうこと」というのは今回のオウム事件における信者たちの置かれていた位置である。村上氏は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を書いた時点ですでに「こちら側」の提示する物語と「あちら側」の提示する物語が合わせ鏡的に同時存在し、自分の存在をなにかに委ねてしまうこととそれを拒否することが同時存在する世界を小説作品に仕上げていたわけである。

そのように考えていくと『アンダーグラウンド』で取り上げられたオウム真理教と我々が暮らす社会との関係の構造は決して村上氏にとって「新しい素材」ではないという気がしてくる。しかも『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』はデビュー間もない頃に書かれた『街と、その不確かな壁』(『文学界』1980年9月号発表)を原型としている作品である。

この『街と、その不確かな壁』は『1973年のピンボール』が芥川賞の候補となり、その受賞第一作用として書かれたものである。この作品についての村上氏のコメントを『村上春樹ブック』(『文学界』1991年4月臨時増刊)掲載のインタビュー記事から抜粋してみる。


「(略)『−−ピンボール』が芥川賞の候補になって、何か書けと いわれたんです。(中略)あの話は書きたい話だったんです、ずっ と頭の中にあって。『街と、その不確かな壁』というタイトルで 百枚のものです。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーラ ンド』の原型とでもいうべきでしょうか。ただ、あれは失敗だっ たですね。というのは、ああいうことはやるべきじゃなかったん です。僕はいまでも後悔してる。受賞第一作用なんて書くべきじゃ なかった。これは声を大にしていいたい」 「あれはむずかしい話なんです。あのころの僕の実力ではとても歯 が立たなかったんです。歯が立たないけれども何かがあるから、 一応存在はしてるんだけど。あれは僕は一切表にだす気はない」

(『村上春樹ブック』「聞き書き村上春樹この十年」より)


このインタビュー記事を読む限りにおいて、村上氏の中にかなり早い段階で『世界の終わりとハード・ボイルドワンダーランド』的な構想が存在していたことがわかる。しかも一度発表したにもかかわらず、納得がいかず書き直し、さらに原型となった『街と、その不確かな壁』を一切表にだす気がないというところから村上氏のこの構想に対するなみなみならぬこだわりが感じ取れるのではないかと思える。

つまり今回の『アンダーグラウンド』にあるオウムの構造のモチーフというものは村上氏にとっては「新境地」といえるほど新しいものではないような気がする。むしろ氏が一貫して取り組んできたテーマであると言ってよいかもしれない。そして今回もまたこのモチーフを再び取り上げないではいられなかったということなのではないか。

なぜなら村上氏が取り上げてきた今までのモチーフはフィクションの世界で成立していることであった。そこへそのモチーフを踏襲し、かつ絶対的なリアリティをもつオウムの事件が入り込んできたわけである。作家の描く「物語」はきわめてリアルなオウムの「物語」にあっという間に駆逐されてしまうのではないか。村上氏はそのような恐怖感を抱いたのではないか。

そのように考えていくと、村上氏は何故阪神大震災ではなくオウム真理教の引き起こした事件に興味を抱いたのかという理由も自ずと明らかになってくる。 阪神大震災は村上氏にとってオウム真理教よりも接点となるファクターが多いことは自明のことであろう。そして仮に村上氏が阪神大震災の被害者の方々へのインタビュー集を刊行したとしたら、その内容は『アンダーグラウンド』と非常に酷似したものになったであろうと思われる。そして、読者の反応もまた『アンダーグラウンド』と同じような反応が得られたであろう。

しかしながら村上氏が『アンダーグラウンド』で成し遂げたかったことはそれまで疎外されてきた被害者の声にスポットを当てて社会に知らしめることではなかったのである。それはあくまで二次的なものであり、村上氏は『アンダーグラウンド』を著すことによって作家である自分にとって必要な何かを地下鉄サリン事件から得ようとしたと考えられるのである。

そしてその何かとは阪神大震災にはなく、地下鉄サリン事件にはあるものなのである。 冒頭にあげた『アンダーグラウンド』に対する二つのおおまかな評価に対していまいち納得感の得られなかった私は、このように考えることができるのではないかと思っている。

つまり、あるストーリーテラーの存在がどれほど人に多くの影響を及ぼしてしまうものなのか、それを検証することが村上氏にとっての『アンダーグラウンド』の本来の目的ではないかということである。なぜなら彼はこれからも作家であろうとしているからである。 そのように考えていくと、阪神大震災にはストーリーテラーがいないということに気づく。結果的に多くの被害者を生みだし、多くの悲劇を生み出したという点においては地下鉄サリン事件と非常によく似た構造を持つが、あれは人為的に引き起こされたものではない。

村上氏が作家として惹かれることは歴史的事実の中に潜むストーリーテラー達の姿なのである。 例えば氏の『ねじまき鳥クロニクル』におけるノモンハンの事件に関しても同じことが言えないだろうか。ノモンハンにおける意味のない虐殺行為の数々は当時の日本という国家が国民に提示した「物語」といえないだろうか。強力な影響力を持った一部の人間が作り出した「物語」が国民を戦争へと導いていったのではなかったか。ナチスドイツなどはどうか。600万人ものユダヤ人が虐殺された背景にはヒトラーというひとりのストーリーテラーと、彼が作り出した「物語」に翻弄されたドイツの一般市民たちから生じたとてつもないパワーが関与していたのではなかったか。

私は以前、村上氏の『ねじまき鳥クロニクル』を日本の「家」制度から検証してみたのであるが、その際どうしても「家」だけからの視点では読み取れない部分が出てきてしまった。それが物語全体に影響していると思われる一連のノモンハンの事件だったのであるが、特権者から提示される「物語」とそれに翻弄される人々というキーワードをあててみると非常にその意味が明確になり、かつ日本の「家」制度もまた明治政府という特権者がわれわれ庶民に与えた「物語」であったということに気づくこととなった。

そして「物語」に対する不安な気持ちというのは、最新の短編集に収められている『レキシントンの幽霊』という物語からも読み取ることができると思われる。『レキシントンの幽霊』を読むことで『アンダーグラウンド』への移行が村上氏にとってきわめて自然なことであったということわかってくる。


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3.短編『レキシントンの幽霊』

短編『レキシントンの幽霊』を読んだとき、私なりの読み解くキーポイントというのは、「幽霊」『源氏物語』(六条御息所など)「泉鏡花」「犬」というところではないかと感じた。 さらに上田秋成の『雨月物語』なども含まれるかもしれないと思った。 つまり、日本の文学の中で描かれてきた「幽霊」と村上氏の作品に出てくる「幽霊」との比較をしてみたらおもしろいのではなかろうかということである。

『レキシントンの幽霊』もそのまま読めば、ひとつの怪奇談として捉えることができる。 しかしそこに描かれている「幽霊」はこれまで日本の文学の中で描かれてきたモノとは雰囲気が異なる。 とはいえ、まったく異質のものであるとは、私には思えなかった。そこには異質なものもあるけれど、共通する何かもあるような気がした。というかむしろ、『レキシントンの幽霊』ではこれまでのそういった日本の幽霊話、あるいはそこにある「物語性の復活」が行われているのではないか、と感じたのである。

例えば、泉鏡花の描く幽霊というものは非常に幻想的、かつ美しいものである。鏡花は上田秋成の影響を受けていたともいわれるので、『雨月物語』に登場する幽霊たちにも同様のことがいえるかもしれない。 ただし、鏡花の時代ぐらいまではそこに描かれる幽霊というものは、非常に現実、あるいは生活に近いリアルなものだったような気がする。今私たちが読むと怪奇話、幻想話で片づけられてしまうが、そうではなく本来その物語の中には、共同体の中で生活するためにに必要とされたタブーや教訓といったものが含まれていた。日本の「物語」というのはそもそもそういった機能を持って語り伝えられてきたものなのである。そして、ちょうど鏡花の作品は、その機能が失われていく境界に位置していたような気がする。

話しを『レキシントンの幽霊』に戻すと、村上氏の目はやはり日本に向いていると思う。というか、日本人としてアメリカ(あるいは世界)にいる自分に向いているという感じがする。その中にいて、日本の作家として日本語で物語を書いていくに当たって検証しなくてはいけないことがたくさんある。それを行うモチーフとして「幽霊」というものを取り上げてみたという印象を受けるのだ。

『レキシントンの幽霊』は、冒頭で「この物語は事実である」というようなことがわざわざ書かれてある。つまり怪奇談をはじめる前にわざわざ「事実である」と断りを入れなければ、今の私たちには「物語」のなかにリアリティを持つことができなくなってしまっているということなのだと思う。おそらく、あの一言がなければ私たちは『レキシントンの幽霊』の物語を単なる幻想的な話としか受け止めることができないだろう。 そう捉えると、「事実である」という一言がこの物語のいちばんの肝なのだと私には思えてくる。 昔の人たちであれば、そんなことわざわざ書かれなくても、そこに描かれる怪奇談は「事実」であった。ものすごいリアリティを持って襲い掛かってくるものであった。 そこが今の「物語」と昔の「物語」との決定的な差なのだと思う。 そして村上氏は、そこに今の「物語」の持つ力の弱さを見ているように思えるのだ。

しかし、そうはいっても村上氏はこれからも作家であろうとしているわけであるし、物語を書き続けようとしているわけであるから、現在の「物語」の持つ問題点を克服していかなければならない。 その克服のための一歩が『レキシントンの幽霊』なのではないかと、私は感じた。


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4.村上春樹の「物語」への挑戦

村上氏が『アンダーグラウンド』を著した理由は「麻原の荒唐無稽な物語を放逐できるだけのまっとうな力を持つ物語」(「目印のない悪夢」)を一人の作家としてこれからも構築していくためなのである。

物語を書き続けるためには現実の中にある物語から目をそらしてはいけない。しかもオウムの作り出した物語は多くの人間を巻き込み、破滅に導くという強烈な影響力を持つものであった。それに拮抗できるだけの物語を作家としてこれから生み出すことができるか。そのために村上氏はあえて真正面からオウムの作り上げた物語を受け止めようとした。その結果が『アンダーグラウンド』なのである。これは村上氏の作家としての並々ならぬ決意の現れであると思う。

小説を書くという行為は現実世界を自分の思う通りに物語の中に反映させやすい反面、肝心な部分をいくらでもごまかしたり避けたりすることもできる。しかし村上氏はあえてそのような手段でアプローチをかけることをせず、事実を事実のままに受け止めることのできるノンフィクションという形を選んだわけである。 村上氏が地下鉄サリン事件に題材を取ってそれを小説に著すことは可能であったろう。しかし村上氏が『アンダーグラウンド』で行おうとしたことは事実から紡ぎだされた物語を真摯に受けとめることなのだ。そしてその現実の物語が持つ圧倒的なパワーを村上氏は乗り越えようとしているのである。そしてそこから新たな物語をわたしたちに提示しようとしているのである。

そのように考えてみると、私が抱いていた二つの疑問、すなわち「村上春樹とサリン事件との関係」そして「『ねじまき鳥クロニクル』のあとにノンフィクションを著した理由」がたちまちのうちに氷解していくのである。


『アンダーグラウンド』は、作家としての自分の使命を突きつめようとしている村上春樹の真摯な姿の現れであるのだ。


噂によると、氏の次作は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の続編ということである。影を切り離し「世界の終わり」に留まった「僕」はどのような新たな「物語」を模索しはじめるのであろうか。『アンダーグラウンド』を著すことで決意を新たにした村上氏の「物語」によるコミットメントを私はとても楽しみにしている。


1997年7月29日 記

Posted by kakerunakasima at 10:21:43 on 2009/06/11
[閲覧(350)][コメント(0)]

2009年05月30日
村上春樹『1Q84』がやっと届いた!BOOK
1q84_small

アマゾンに予約していた村上春樹の新作『1Q84』がやっと届きました。
発売予定日は昨日なのですけど、すでに数日前から書店には並んでいたので、
ものすごく待ち遠しかったです。

これから読みますっ!
Posted by kakerunakasima at 17:45:52 on 2009/05/30
[閲覧(466)][コメント(0)]


梶尾タモツの「通勤電車で短編も」
投稿者: zocalo 投稿日時: 2008-3-2 15:15:00 (1 ヒット)
通勤電車で短編も

 阿川弘之は、僕にとって気になる小説家のひとりである。
 『大人の見識』はよく売れているし、福田和也の「作家の値打ち」でも、阿川の『舷燈』(ようやく古本で手に入れたと思ったら、講談社文芸文庫で復刊するとかー)は89点の高得点だったし。
 けど、肝心の小説を読んではいないのだ。今回の「年年歳歳」(講談社文芸文庫『戦後短編小説再発見8 歴史の証言』所収)で、はじめて読んだ。そして、予想通り、素敵な作品だった。
 
 *
 
 主人公の道雄は復員を果たし、夜汽車で故郷の広島へ向かっている。過ぎてみれば、戦争もただ《無暗にいそがしかっただけだった》。
 原爆のことは、道雄も戦地で知っていた。広島には、両親がいる。だが生きているかどうか。汽車のなかで眠りにつきながら、不安と楽天とない交ぜになった気持ちのまま、廃墟となった故郷に道雄は安否を尋ねに行く。
 広島に近づくにつれて、瓦礫の原がつづくようになる。

《「綺麗なもんだ」
彼はなるべく落ちつくようにした。何もありはしなかった。家の辺りも北の果から南の果へ同じ焼野原である。昔は汽車から見えなかったビルディングの残骸がぽつんぽつんと見えた。焼けただれて黒く尖った木々の姿は不気味であった。同情してくれた兵士たちは黙った。》
 
 しかし、その焼野原にも、確かな生命の芽生えがあった。
 
《「でも麦が生えている」
誰かが言った。ほんとにそうだった。焼けあとに麦がよく伸びていた。それは何か心を明るくした。》

 案に相違して、道雄は両親と再会することができた。父親はひどく老け込んで、道雄を見ると、歯のない口から「う、う、う」と子どものような声をあげた。両目が悪い母親と甥と三人、何とか生活をしていた。穏やかで朗々とした一週間がすぎていく。
 そんなある日、道雄は母親と花見にでかける。明後日には、道雄は職探しに上京する予定だった。
 
《土手になった道を歩く。両側は片づけられない瓦礫や、錆びた鉄屑がいっぱいに散らかっている。その合いに、家の跡にも小路のほとりにも麦が伸びていた。所々に菜の花が見える。南の方に、焼けたままのビルディングが、驚く程近く見えた。
 桜の古木が一株、大枝の中ほどから折れて地に垂れ下がったまま豊かに花をつけていた。
「爆風で折れたんだろうね」
「そうやろな。折れてもきれいに咲くもんやなあ。小枝を少し折ってくれへんか。お父さんに持って帰って見せたげよ」》

 道雄と母親の花見は、特別な盛り上がりがなく、二人は家路につく。その途中、道雄は復員してはじめて雑誌を買ってみる。「アサヒ・グラフ」である。
 その表紙の写真は梅の花と、その下には焼野原の東京の姿だった。そして、表紙の片隅に、劉廷芝の詩「代悲白頭翁」のなかの詩句である、
 年年歳歳花相似(年年歳歳花あい似たり)
 歳歳年年人不同(歳歳年年人同じからず)
という文句を、道雄は見つける。
 彼は母親に、その写真を示す。母親のそれを見ての一言が、穏やかな読後感を誘い出してくれる。

 *

 ストーリーには、大した山場はない。甥っ子は、兄さんの帰郷を素直に喜び、町へと繰り出す。老いた父母は相変わらず夫婦喧嘩をしている。父親は、昔のように小言を言う。
 しかし、原子爆弾という未曾有の惨事が起きた後では、そして、あの戦争を掻い潜ってきた後では、なお生きてあることの確かなうれしさというものを、この小説はしっかりと書ききっている。
 そして、戦争の悲劇を声高に叫んでもいない。なんとも春の陽気のような短編なのである。ヒロシマ、原爆、というテーマからすると、むしろその静けさと向日性とは、読み手に強烈な印象を与える。
 最後に登場する、「アサヒ・グラフ」が、いい。小説を明るくすることに効いている。雑誌は、どの時代でも元気のメタファーなのである。
 











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